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Archive for 2013年12月

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煙草はもう二十年も前にやめた。いまではどちらかといえば匂いを避けるくらいに、煙草は好きではない。

なのに最高にかっこいい音楽を探してたら、タバコジュースというバンドにぶち当たってしまった。

嫌なバンド名だなというのが最初の印象だった。でも音はおれの趣味ど真ん中だった。

何回かライブを見に行って出音を気に入って、そのうちブレイクするんだろうなと思ってたら、突然の活動休止。不景気で食えないんだなと本当に残念だった。

半分諦めていたら二年後に活動再開。またあの音が聴けるかとわくわくしたよ。

休止前の最後のライブをやった新代田feverで再開ライブを見て、彼らの音が変わってなくてほっとした。

今夜はクリスマスギグ。タバコノケムリだ。

煙草の匂いは苦手だけど、タバコのフレーバーならいつまでもOK。

さあ、もうすぐライブがはじまるぜ。

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羽はすっかり伸びた。
堅く張りのある翼に成長した。
付け根もしっかりしてきた。

息子くんは手のひらにキアゲハを乗せた。

キアゲハは羽を開いたり閉じたりしながら、指を乗り越え、腕をよじ登り、動きまわる。

バランスを崩してパタパタと羽ばたく。

そのまままっすぐ、窓際のカーテンまで飛んだ。部屋の中で、何かにぶつからないかとハラハラする。

空気をつかむ感じがわかってきたようだ。

「もう飛べそうだね」

息子くんは名残惜しそうに言った。

「パパっ、写真撮っといて」

おれは携帯を出して、せわしなく動く蝶と息子くんを撮った。ふたりともじっとしてるのが苦手なので、ピントが合わず苦労した。

息子くんは気持ちを振り切るように、深呼吸をして、両手で大きく窓を開けた。

春のような穏やかな日。
風もない。
青い空がベランダの向こうに広がる。
雑木林の枝には鳥が止まり、仲間と賑やかに囀りあっている。

今年、最後のキアゲハの羽化。

仲間たちはとっくにこの世にあらわれて、夏を謳歌し、我が物顔に石神井公園の空を飛び回っただろう。

遅れてきたキミは、世界を満喫できるだろうか?冬になる前に蝶としての命を愉しみ、後世に生命をつなげることができるのだろうか?

息子くんは、ベランダから腕を伸ばし、人差し指を空に向けた。指の向こうには、真っ青な雲ひとつない自由が広がってる。

未知の空間に向かって、キアゲハは腕を登って行った。

先端にたどり着き、もう道がないことを知ると、思い切りよく、強く羽ばたいた。

軽い体は一度落下したが、羽が空気の塊をとらえ、一度、二度不器用に羽ばたくと、風を掴み、飛び上がった。

ひらひらと不安定な、でも希望をまとったキアゲハのファーストフライトだった。

そのとき。

けたたましい鳥の鳴き声が聞こえた。

視野の端から、何者かが争うように飛んできて、息子くんの目の前で反転し、乱暴な羽ばたき音と灰色の影だけを残して、飛んでった。

キアゲハは、もうそこにはいなかった。

争っていた灰色の影は、目の前の電線に止まり、手に入れた獲物を奪い合い、騒がしく鳴いていた。

キアゲハの羽の破片が風に舞った。

「鳥に食われた…」

息子くんは言葉を失った。

電線に止まった鳥を睨みつけ、拳を強く握って、ただ耐えていた。

空はどこまでも青く、何事もなかったような穏やかな一日が続いていた。

ベランダの物干しには、アサガオの蔓が巻きついていた。蔓の先には薄紫と白の花が、太陽にファンファーレを吹き奏でるように咲いていた。

おれはかける言葉を探した。

「自然は…」とか、「生き物は…」とか、教科書にのってる感情のかけらもない一般論は、今の息子くんには通用しない。

おれらの何十倍もの集中力と愛情で、自分の手で育て上げた小さな命…。

あの不条理を飲みこむには、陳腐な言葉は何の役にも立たない。生まれて初めて体験した本物の哀しみを、そのまま受け入れるしかないのだ。

しばらくして、やっと口を開いた。

「あいつ、さなぎからかえって、この空、10秒しか飛んでないのに…」

息子くんは吐き捨てるように言った。

「おれは鳥が憎い。ぶち殺してやりたい」

涙も出ないほどの憎悪が、息子くんからあふれ出た。

ママが言った。

「悔しいけどファーブルのおじさんが言ってたの思い出したわ。虫のほとんどは、他の生き物に喰われるために生まれてくるって。何千匹のうちの、生き残った数匹だけが、子孫を残していくって」

おれは何を話していいのか、途方にくれた。

たまたま目の前に浮かんでいた慰めの言葉を、息子くんにそっと渡してみた。

「また育てような。春が来たらもっともっと虫を取りに行こうな。飼えきれないくらいたくさん取ろうな」

息子くんは窓の外をじっと見ていた。

ママが聞いた。

「来年、幼虫見つけたら、また飼うの?」

息子くんは全身全霊で即答した。

「飼う!ぜってえっ、飼う!つぎは絶対、鳥にやられないように逃がす!!」

マンションの外まで聞こえるほどの、激しい息子くんの怒り声が響いた。

驚いた鳥は、電線から逃げるように飛んで行った。

(おわり)

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その日。

春のように暖かい土曜日。

前の週、厳冬を予感させる底冷えが続いたので、ほっと一息つけた。秋は挨拶だけして、瞬く間に通り過ぎようとしていた。

午前中は杉並のグラウンドでサッカーの試合があった。息子くんも少しは思った通りのプレイができたようで、嬉しそうな顔で帰宅した。

昼ごはんを食べ、部屋の模様替えでもしようかと掃除を始めたとき、息子くんが大声で叫んだ。

「○×△□っ!」

慌てていて、何を言ってるやら。

「どしたの?」
「さなぎが!キアゲハが出てきた!」

ママも台所から出てきた。

「さなぎ、生きてたんだ?」

おれも妻も、ゴミのように動かないさなぎのことはすっかり忘れていた。

「ママっ、ミニトマトの中だと羽曲がっちゃう。蓋を取って!外に、だっ、出して!」
「慌てないで、じぶんでやればいいでしょ?あんたの方が上手いんだから」
「そっか!」

やっと心拍が落ち着いてきたようだ。

キアゲハはまだ蝶には見えなかった。弱々しい羽虫のようだった。足もまだうまく動かせず、よろよろと不安定に歩いていた。

息子くんが器用に容器から取り出し、レースのカーテンに誘導すると、やっと頭を上にしてぶら下がった。

羽はまだ伸びきっていない。くしゃくしゃと丸まったままだ。空気の抜けたビーチマットのようだった。

「このまま固まっちゃったらどうしよう?」

息子くんが心配気な声でつぶやく。

「たぶん大丈夫だよ。羽に葉脈みたいなのがあるだろ?ここに体液を送りこんで羽を広げるんだよ」

思いつきで安心させる。

キアゲハはカーテンにぶら下がったまま、もぞもぞと足を動かしたり、口の巻きストローを伸ばしたり縮めたり、触角を動かしたりと、単純な動作を繰り返していた。手に入れたばかりの、体の動かし方を試しているようだった。

すぐ隣で、鼻息がかかるくらいの距離で、息子くんとおれが観察していても、警戒感のかけらもない。それよりも自分の体を点検するのに一所懸命だ。

それにしても、こんな季節に。
暖かくて春と間違えてしまったのか。

時間をかけて、少しずつ羽が伸びてきた。キアゲハ特有のカスタードクリームのような黄色と黒い縁、赤褐色と青の紋が、大きな三角の羽を彩る。

おれもこの模様がひらひらするのを見て、子供時代は興奮したものだ。モンシロチョウやシジミチョウ、イチモンジセセリは簡単に取れたが、キアゲハとタテハチョウは高嶺の花だったな。なかなか取れなかった。取れた日は一日幸せだったな。

となりで無言で見つめている息子くんも、今、あの頃のおれの気持ちを、なぞっているのだろうか?男子はみんな一度は通る道だ。

間近に見る、完成しつつあるキアゲハの精密さ、美しさ、絶妙な形と色には息を呑む。

漆黒の複眼。
細く折れそうに長く伸びた触覚。
微細な可動模型のような脚。
柔らかく膨らんだ綿毛で覆われた腹。
色鉛筆の粉で丹念に描きこんだような羽。

ひとつの傷も汚れもない、成虫になったばかりのキアゲハ。

その完璧な美しさには言葉は無力だ。実物以外、この濃密さを体験することはできない。テレビの画面や標本箱のガラス越しでない、目の前に実在する、触ろうと思えば壊すこともできる、その脆い形と色の奇跡。

それが生きていて、羽を開いたり閉じたりしている。

生き物ってすごい。

誰がこんな完璧なものを作り上げたのだろうか?

息子くんも、目の前の小さなスペクタクルに圧倒されていた。

ふと思った。

今、目の前のこの完璧な個体を、そのまま三角紙に挟みこんで、冷蔵庫に入れてしまえば、生まれたばかりの小さな炎はそっと消えて、彼は一片の欠けもない標本を手に入れられる。触覚も羽も、曲がりもキズもひとつもないものを。

息子くんに聞いてみた。

「どうする?」

一呼吸おいて

「いい。観察したら逃がす」

と答えた。

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息子くんが移動教室から帰ってきた。リュックを降ろしてまず最初にやったことは、さなぎを見ることだった。

「よかったー、まだ羽化してないよー」

ホッとした顔で下田のお土産をテーブルに置いた。

移動教室では、いろんな虫に遭遇したらしい。網と虫カゴを持って行けばよかったと悔やんでいた。温暖な伊豆の気候のおかげか。

さなぎは変色して、くすんだ褐色をしていた。容器の中ですっかり枯葉に紛れ、ゴミのようだった。

「死んじゃったのかね?」

ママが覗きながら言った。

息子くんも不安げだ。しかしまさかさなぎを開けて見ることもできない。できるのは待つことだけ。

「少し様子を見ようね」

ママは台所に戻った。

息子くんがファーブルのおじさんから教えてもらったことで、これは親には無理だなと思うのは標本作りだ。

虫をきれいに死なせ、死骸の処理をしてから、展翅板と虫ピンを使って固定する。触角の向きや、足の開き方、羽の形など見た目も大事。自然に美しく見えるようにピンセットや爪楊枝で形を整えていく。

ファーブル昆虫塾では、虫ピンや注射針など、手術器具のような専門的な道具を使わせていただいた。使い方を誤れば危険な、なるべくなら子供の手の届かないところに置きたいものばかりだ。

標本作りを教えるのは、親には少し荷が重い。技術的なことだけでなく、命の扱い方をどう説明するかがつらいのだ。

生きている虫を無理に死なせる場合はとくにそうだ。心やさしい大人からは残酷に見える。

自分の手で、虫の小さな命の火を消すのは慣れが必要だ。

おれも、正直今でも抵抗感がある。

しかし、息子くんが昆虫に夢中になり、ファーブルのおじさんたちと話すうちに、命を粗末にすることと、虫遊びのために殺してしまうことは違うのだと気づいた。

殺すことはどちらも同じだが、なにか本質的な違いがある。

命への、小さな虫たちへのリスペクトというか。

人間の身体が、他の生き物の命を食べて維持されるように、心、とくに子供の心が健全に育つには、虫たちの命が欠かせないのでは。

今は心が痩せた、心力のない大人がほとんどで、彼らは(おれも含めて)どんなときも、命は最大に保護されてないと不安でならない。

そんな貧弱な、ひ弱な生命観が、子どもに命の美しさ、豊かさ、おもしろさ、儚さを体験する機会を奪ってるのかもしれない。

標本作りには、平凡な親の忌み嫌う殺生がたっぷり含まれている。

なんでこどもたちは虫を飼いたがり、標本を作りたがるのか?

たぶん、小さな虫を、その魅力を手に入れたくて殺してしまうときに、その虫の心が、こどもの心に足されていくのではないだろうか。

だから楽しいのだろう。

知識や言葉ではなく、体験と手触り。

命のぷるぷる、ぴくぴくした本質を知るための、唯一無二の方法が殺生なんだと思う。

うちもファーブル塾に来なければ、それに気づかずにいた。

文京区のファーブル昆虫館には、建物の入口にひっそりと塚が立っている。蟲塚と彫られたその石は、おそらく捕虫網を持った大人の子供たちが、殺生した虫たちの供養のために置いたものだろう。

これからも館を訪れる真っ白な子供たちを、見守り、出迎えてくれるだろう。

しかし、よくできた標本は、本当に美しい。

そりゃ、息子くんも、自分で作りたくなるだろうな。

いいんだよ。
わかるよ。
どんどんチャレンジしな。

でも、親としては嬉しいやら、困るやら。

今度は飼育ケースだけでなく、標本箱が部屋中に散乱することになる。

ああ、おれの私物を置くスペースは、いったいいつになったらできるのだろうか?

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